緊張と緩和と臆病と大胆

書きたいことだけ

物理ではなく

もうすぐ広島から引っ越す。
広島は、かつて、私が独身の頃に働いていた土地だった。
駆け出しで、右も左もわからない頃に、当時はまだ交際相手だった夫とも遠距離に引き離され、地縁のない西の土地で悪戦苦闘しながら頑張っていた。
頭を下げることも、前を向いていなければならないこともたくさんあった。
毎日終バスか、それを逃せばタクシーか、それもダメなら寝袋を持ち込んでいた先輩から借りて、床に寝ていた。
ブラックかもしれない。
でも、うちの会社は少し特殊なところがあって、たとえば、消防士が火災現場に飛び込むことや医師が長時間のオペに臨まなければならないことをもって労働環境がブラックと言えるのかどうか、それは仕事そのものの属性に基づく厳しさであって、ブラックというのとは違うのでは…?というのと同じ感じで、仕事がやむなく深夜に及ぶことがあった。
ブラックかどうかはさておき、とにかくとても懐かしい。

ここのところ、飲み会や食事会の機会が多かった。
広島に来たとき、そして広島から引っ越すことが決まったときに、昔仲の良かった人たちに連絡を取ったところ、ありがたいことにお誘いをいただいたから。
一つ飲み会に出ると、それを聞き付けた別の知り合いがまた新たな誘いをくれる、といった感じで、予定がぽこぽこと埋まっていった。

一人で出歩くことについて何も言わず、むしろ一緒に喜んでくれて、背中を押してくれた夫には、心から感謝している。
また、もともとは仕事で知り合った関係で、ときには利害が対立する立場だったのに、五年以上接点のなかった私が広島にいることを喜んでくれて、会いたいと思ってくれる人がいたことを、本当に幸せに思う。
彼らは、私が現在育休中で、仕事において最新の知見も備えておらず、容姿が美しくもなく若くもない、ごくごく平凡な人間であることを知りながら、当然のように会いたいと言ってくれたのだ。
どの席も、久しぶりに会ったなんて信じられないくらい自然に始まって自然に時が流れた。
とても楽しかった。本当に楽しかった。
彼らの情の深さ、優しさに感動した。

昔、能力的にはまだまだながら、自分の仕事に責任を持ちたいという気持ちで必死で仕事をしていた過去の自分に、なかなか頑張ってるじゃん、その頑張りは後から返ってくるよ、と言いたくなった。

過去の繋がりとは別に、会いたい人に会おうと思って、日帰り新幹線で突撃もした。
新幹線で観光地に行ったのに観光は一切せず、昼から飲んでしゃべって笑って、そのまま終電になった。
初めて会う人もいたけど、そんな気は全くしなかった。
かつてはこのまま縁が切れてしまうのかと寂しくなった人もいたけど、ここで見事に繋がった。
双方が会いたいと思い続けていれば、意外と会えるものだと思ったし、当然また会う。
これからも、大切な気持ちが双方でちょうどよく釣り合っている人と向かい合っていきたいし、不誠実な人からはふわふわ遠ざかっていきたい。
周りの人を大切にするために、自分の心のバランスをきちんと取っていきたい。

心の近さに物理は関係ない。
でも、会いやすさには関係がある。
たった半年の広島生活。
留学していた夫の帰国と同時に広島に転勤となり、0歳児を抱えてヒイヒイ言いながら荷造りをしたこと。
今年に入って、ここでの生活にも慣れたね、などと話していた時期に、再び東日本への転勤を告げられ、夫婦で驚いたこと。
慌ただしさや、短期間で環境がコロコロと変わることや、作業や手続きの面倒さを考えると、私の中の森三中黒沢さんが「その転勤、必要でしたかぁぁぁああ~!?東日本、西日本からのまた東日本、西日本のワンクッション、いりましたかぁぁああ~!!??」とキレ出してしまうこともあった。
でも、再会できた人たちや、新しく出会えた人たちのことを思うと、二回目の広島での生活には、意味があったんだと思う。

会いたくて会った人の一人が、やっぱあなたいいわ、また戻ってきてね、と笑っていた。
かつては仕事でめちゃくちゃ揉めた相手だった。
やったぜ。
こういう一瞬の宝物を見失わないうちに胸に納めて、ずっと大切にしていく。
くじけそうなときには宝箱を開けて、思い出す。
楽しかったし、これからも楽しみだ。
何もかも、これでいいのだ。