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まことお兄さんとよしお兄さんを見て思った、体操、さらにはおかいつの優しさ その1

この記事は、「まことお兄さんを見て思った、体操とは?」の続きです。
今回の記事では、おかあさんといっしょの体操って、結局何のためにあるの?どうなれば成功なの?
何かクドクド書いてるけど、一体お前は何をまことお兄さんに要求してるんだ?ということについて書きます。

私は、おかあさんといっしょの体操の一番の目的は、「子どもが楽しい時間を過ごすこと」だと思っています。「子どもが『体操って楽しい』と感じること」と言い替えてもいいです。
歌も同じ。人形劇も同じ。
とにかく、楽しい!嬉しい!幸せ!って思ってもらうこと。
極端な話、振り付けが完璧だけど子どもたちが特に楽しいとは思っていない場合と、どの子も振り付けなど一切守っていないけど心から楽しかった!と思った場合なら、断然後者の方が番組として成功していると思います。
たとえインターネッツで「ちょwww今日のおかいつ、崩壊ww放送事故www」と言われようと、子どもたちが楽しく過ごせていればそれでいいと思います。
もちろんこれは極端な例です。
できなくても楽しければいいけれど、他方で、新しいことをできるようになる喜びや楽しみも世の中にはたくさんあります。
そして、子どもたちにそれを教えてくれる心強い存在の一つが、おかあさんといっしょをはじめとするEテレコンテンツです。
出来不出来にこだわらないプリミティブな楽しさも、成長段階に応じた、出来る喜び、わかる楽しさも教えてくれる。
一見矛盾するかに見える異なる次元の喜びを、体操ひとつ、お歌ひとつで魔法のように魅せてくれる。
正直、課金し足りないです。

では、どのような次元のものであれ、子どもに楽しんでもらうために、大人であるお兄さんお姉さんができる、あるいはすべき、最も大切なことは何か。

それは、子どもたちに寄り添い、受け止めること。
さらに、出会った子どもたちを平等に好きになり、愛情を注ぐこと、ではないかと思うのです。
そしてこれを初対面、かつ一期一会の子どもたちに対してなしとげるには、平素から絶え間なく
「僕は君のことを待ってるよ」
「私はあなたのことが大好きだよ」
「どんなあなたにだって会いたいよ」
「どんな君だって、間違いじゃないよ」
「離れてたって、心はいつも隣り合わせだよ!(名曲)」
という受容のメッセージを、言語であれ非言語であれ発信し続ける必要があるのではないでしょうか。

このように考えるのは、よしお兄さんとりさお姉さんの卒業アルバムで、お二人が語られていた内容に大きな感銘を受けたからです。
お二人は、おかあさんといっしょで大切にしていたこととして、子どもに寄り添うこと、目の前の子どもに愛情をもって接すること、子どもに教えるのではなく、ともに楽しみ成長していくこと、などを挙げておられました。
お二人それぞれがご自分の言葉で語っており、細かい言い回しなどは当然違うのですが、その背後にある理念や価値観は、お二人とも共通しているように感じられました。

そして、卒業アルバムを読んだ後で、お二人が出ていた昨年度のおかあさんといっしょを見ていると、お二人はもちろんのこと、ゆういちろうお兄さんとあつこお姉さん、さらには番組全体のつくりが、子どもたちを肯定して、受け止めて、楽しませるための、たくさんの優しさに満ちていることに、改めて気付かされました。
ブンバボンを見て、思わず涙するほどに。

それって、具体的にどんなこと?まことお兄さんとあづきお姉さんはそうじゃないの?そうじゃないならどうすればいいの?という点については、また次回…と思いましたが一つだけ!

よしひさお兄さんのこと、当初は(今も?)「よしお」だと思っていた方、大人でも子どもでも多いと思います。
自分の名前って、誰しもそれなりに思い入れのあるものだと思うんです。
かくいう私も、結婚して「はぎわら」的な姓になったのですが、「おぎわら」的に間違われるたびに、「ア…(まあ…訂正しなくてもいいか…)」と、ほんのちょっと、ほんのちょっとですが確実に気力が減るんです。
そして、名前を正しく呼んでくれる方は、それだけで好感度がアップしてしまう。
芸能活動をしている方ならなおさらで、仕事をする上で名前をしっかりと覚えてもらうのって、とても大切なことだと思うし、そこにこだわる方も少なくないと思うんですね。
でも、よしお兄さんは違う。違った。
子どもたちがどうしたら自分のことを呼びやすいか。
それが何より大切だったから、それが最優先事項だったから、だから、よしお兄さん。
本当に本当に、優しい。

それと対比したときに、どうしても気になってしまうのが、まことお兄さんとあづきお姉さんのお名前の表示です。
どうして、二歳児から四歳児を対象とした番組で、「福尾誠」「秋元杏月」と表記するのでしょう。
保護者向けの表記なのかとも思いましたが(体操監修・佐藤弘道、的な)、番組の他の場面では、保護者向けにスタッフを表示する場合、フレームをつけずにシンプルな文字だけの表記がなされています。
まことお兄さんとあづきお姉さんの場合、フレームはメルヘンなんですよね。つまり子どもに向けてあえてあの表記で名前を出している。
「一部の専門職、結婚して改姓すると実績途切れちゃうからあえて旧姓のまま仕事する問題」同様に、研究者や競技者としての実績とリンクさせたいからなのかな?それとも他に理由があるのかな?とも考えましたが、ふりがなを振ることもしない、できないのかな。

もちろんこのことだけで、まことお兄さんやあづきお姉さんや番組そのものに不信を抱いたりはしません。
こんな些細なことを気にするこちらが面倒な人間なだけかもしれません。
また、過去にはこのような表記がごく普通になされていたのかもしれません(この点はリサーチ不足ですみません)。
でも、「花田ゆういちろう」「小野あつこ」「小林よしひさ」「上原りさ」の表記に慣れ親しみ、それを当然のように受け取っていた身からすると、こんな些細なこと一つでも、そこには子どもに対する誠実さや優しさが溢れていたように思うのです。

次回はこういう具体例をたくさん書くことで、これまでに日本中世界中でたくさんの親子が受け取ってきたであろう優しさや肯定のメッセージについて表現できたらと思います。
また、まことお兄さんとあづきお姉さんについても書きますが、誰かと比較して叩くようなことはしたくないですし、しません。
二人はとても素敵だし、私はもうすっかり二人のファンなので!